格差社会、それが今年のテーマ?

この日記へたどり着くキーワードでも「格差」という言葉が多いけれど、新年から毎日新聞も「格差の現場から」といういかにも「見下ろした」企画で連載記事を書いています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/tatenarabi/news/20051228org00m040064000c.html

「一億総中流」時代は終わり、格差が広がりつつあります。効率追求の競争はますます激しく、会社も人も「勝ち組」「負け組」にはっきり分かれようとしています。自殺は毎年3万人以上、生活保護は100万世帯を超すという現実が私たちの眼前にあります。これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。それともセーフティーネット重視の相互扶助型の社会を選ぶのか−−。海外にも目を向け、日本の目指すべき針路を読者とともに考えます。

ガ島通信のエントリーには「頑張れば報われる」新しい社会像なんて幻想で、「頑張っても報われない」社会がやってくるとか書いてありますが、そのとおりかもしれません。さらに格差の問題は二段階のレベルに分けて考える必要があると思います。つまり一世代間の格差と、世代を超えた格差、正直、私が負け組になることで、私の子孫が将来永劫「負け組」の烙印を押されてしまう時代がきたら怖くて仕方ないです。「負け組」の再生産を懸念しています。貴族とか身分制度があるのなら、その制度の打開を目指せばいいのですが、経済的な格差がどのように世代を超えて固定化されるかは見えづらい、きっと「そもそも経済的な格差は世代を超えているのか」という神学的な論争になってしまうのかもしれません。

「時給は288円」より
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/tatenarabi/news/20060105k0000m040026000c.html

ヘッドセットを着けた日本人の若者が、海を隔てた日本の客に話しかけている。その声とキーボードを叩く音しか聞こえない。
 中国・大連。政府が「ハイテク区」に指定した地区の一角にライブドアグループのコールセンターがある。04年、現地に進出した。
 働くのは同社の「中国語が学べるインターンシップ制度」に応募した約80人。堀江貴文社長がブログ「社長日記」で「マーケットが確実に拡大する中国でキャリアを積むことには意義があると思いますよ!」と紹介すると、説明会の申し込みは1時間で50件に上った。
 時給は20元(約288円)。大連の大卒初任給の2倍にあたる。同社は当初、日本語のできる中国人の採用を検討したが、片言では顧客が満足しない。低賃金の日本人を連れてくることでコストを40パーセント削減できた。海外で日本の最低賃金法は適用されない。

私自身、インデックスのこのようなオフショアのコールセンターを運営する子会社に就職活動時、応募したことがあります。堀江社長が言うように海外でキャリアを積むことに私も意義があると思います。最近のビジネスパーソンも海外留学経験を持っている人が多いと感じますし。ただ、上の記事で書いてあるのは、「海外に行けば自分が変えられる」という人間の期待をうまく利用したビジネスだと思います。それも「格差」に虐げられている人を狙ったものだと。「格差」の上にある人間、もしくは家庭なら「留学」という手法をとると思われますからね。
「格差」社会が「搾取」社会になることもどうかなあと感じます。「相互扶助社会」とまでは言いませんが、成功した人間は何らかの形で社会なり、上に上がろうとする人たちに援助を差し伸べてほしい。NPOな盛んなとかが盛んなアメリカでは少なくとも日本よりは寄付などのシステムが発達しているのはなないでしょうか。